おはこんばんにちは、社畜です(=゚ω゚)ノ
ほとんどの企業で新年度が始まると、新たな目標や人事異動による体制変更などコロナ禍における企業の在り方も変化を求められる時代となりました。
会社が何かを決める時、必ず行われるのが「会議」です。
私は日常業務の中で一番嫌いな時間が、この会議の時間です。
今日は、私が感じている「会議の無駄」について書き進めようと思います。
議論するのが会議だが、ただの報告会になっている
昔ながらの企業に限らず、この会議の進行は非常に多いでしょう。
会議とは「議論を交わす場」であるはずなのに、各担当者から提出される資料を読み返すだけになっています。
一連の報告が終わった後に①その場で議論という名の単なる質問と軽微な返答。②全体の報告が終わった後にランダムで質問と、同じく軽微な返答。ほぼこれで会議は終了します。
特に参加人数が多い会議は、これが主流になります。
本来であれば、事前資料が各担当にリリースされ、下読みを終えた状態で出席し、冒頭から議論が交わすのが会議です。
しかし、その場で資料を渡され朗読を聞き入ってからでは「議論を交わせるフィールドが作られていない」ので、会議は単なる朗読会で終わります。
話題が脱線すると修正に時間がかかる
会議序盤は、報告という名の朗読会が淡々と進みます。
朗読会終了後に見当違いな質問や、個別に聞けば済むような質疑応答を少し交え、話の内容は突如として業務外の得意先での雑談話など「議題に関係のない雑談」に会話がシフトしていきます。
この状況に陥ると、不思議と他の参加者も会話に参加を始め、加速度を増しながら会議は更に関係のない世間話に拡大されて、生産性のない無駄な時間だけが過ぎ去ります。
一定程度まで世間話が終了すると、ほぼ会議は終盤を迎え「じゃあ続きは次回の会議で」と幕を下ろすのです。
会議の内容は問わず、必ず話しが逸れる会議が多いので、凄く無駄な時間の使い方をする会議が多いのがブラック企業です。
事前資料の作成に時間を奪われる
日本の企業は仕事に対し真面目な人が多く、会議の前には事前資料を作りこんでから臨む事が多いです。
本来であれば会議とは議論を行う場であるにも関わらず、他者から極力質問されすに終わる内容資料を作る事が優先と感じてしまうため、口頭で済む内容を資料に細かく落とし込む無駄な作業が多いです。
上層部も「次からしっかり資料に落とし込みを」と指示を出す場合が多く、こうなると単に資料を提出して不明な所は個別にヒアリングすれば済むのではないか、と私は思います。
会議のために会議をする
これが一番厄介で無駄な会議です。
経営陣が参加する会議では「あらゆる質問に対する返答に対応するため」に、本会議前の事前会議的な打合わせを組み込まれます。
この事前会議も、管理職が普段から経営陣に対し定期的に資料を提出しておけば必要のない打合せなのですが、そもそもブラック企業系統の管理職は「現場の状況を把握していない上司が多い」ため、自身の保身のためだけに「試験前の詰め込み勉強」のような打ち合わせを部下のスケジュールにねじ込んだ挙句、資料の提出と作り直しまで行わせるのです。
上層部だけで開くのであれば問題ないですが、資料を作ったり現状を把握していない駄目上司が多いため、下々まで事前会議に出席させられるのは非常に辛い。
会議を行う事で、課題解決が進んだと思い込む
これは会議を行う頻度が多い会社に見られる現象で、会議を行ったことで課題の解決に向け進展したと自己満足に浸る事が多い事です。
この種の会議は議事録を作成した場合に「結局会議を始めた状況から何も進展していない」事が多く、議論も堂々巡りで終始進行を続けます。
タイムスリップしたかの様に「さっきもこの話、したよな」と、私は心の中で何度も呟いています。
上司の満足感を得るための会議
会議とは上の人間を満足させる事で開かれる事も多く、会議に参加した上司が「これは、こうだから、こうした方が私は良いと思う」と、結局は上司の意思の確認を聞き取る場でしかありません。
下々の人間も、心の中で「よし!言った!これでこの案件はその方向で進めればOKね」と、もはや議論どころか単なる顧客へのヒアリングの場でしかなくなっており、発言した上司も部下から「そうですね、それで進めたいと思います」なんて言われると、自分の意見が通ったと勘違いして浮かれる人もいるので呆れます。
だったら会議など開かずに最初から指示を出せ、と私なんかは思っていたり(笑)
しかし、社畜社員達は決して本性を見せず「上司!あなたの助言を私たちにお示し下さい(ー人ー)」と、見事な演出を成し遂げてみせます。
こうなると既に会議とは名ばかりの劇場と化しています。
最初から結論ありきの会議
何かと部下の考えに否定的な発言をする「後だしマウント上司」が行う会議は、既に現場は思考回路を停止した状態で会議に臨みます。
そうです、その会議の結論は既に上司の中では決まっており、我々は噛ませ犬役として壇上に上がらなければならず、事前の素案資料も見事なまでに過去の会議資料を手抜きリライトでステージに登場します。
当然ながら過去に上手く行かなった資料を軸として会議に臨みますので、上司は「その内容では過去に失敗した経緯があるから使えない」と、村の何でも知っている長役に担ぎ上げさせ、下々の社畜は「万策尽きた感」を劇団四季なみの演技力で演じ切ります。
そうする事で上司は「私に考えがある。実は会議の前に考えていた」などと救世主到来を彷彿させる神の一手を差し出すのです。
こうなれば会議は一気に進行し、上司の熱弁を無心で聞き入る平民を演じ通せば会議は無事に終了します。
最後は現場に丸投げで終了
これは私たち社畜の中で「消化試合」と名付けられており、色んなパターンのシチュエーションがありますが、結局のところ何一つ結論は出ずに上司からも方向性は示されず時間切れで終わる会議です。
他の会議と大きく違うのは、この手の会議はエンドレスで結論が出ずに最後はお蔵入りして終了すると言う事。
未来永劫に日の光を浴びる事のない議事録と資料だけが空しくPCのメモリーを消費するだけです。
誰一人として幸せにならず、負の遺産として最終的には年末の大掃除でメモリーからも削除される悲運の会議資料として、記録からも記憶からも忘れ去られるのです。
会議の数だけ、そこにはドラマがある
皆さんの会社で行われる会議にも、似たシチュエーションはありましたか?
私たち社畜は日常業務の他に「社内会議のための業務」という何の価値も生産性も生み出さない無駄な仕事をさせられている時間が多くあります。
スピード感のある企業や、急成長を遂げている企業は「会議も効率的で生産性の高い議論が多く」生産性のある仕事の処理方法で企業は進みます。
昔ながらの手法から脱却できない企業は「会議が仕事」と思っている上司も多く、結局は何も決まらず時代の流れに置きざりにされ、業績は衰退して行くのです。
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