不動産投資で決断した人生の選択

希望の光 社畜の労働日記
スポンサーリンク

生きて行く上でお金は必要不可欠な物で、収入が途切れると生活できない恐怖に襲われる事で、人々は死ぬまで働き続けようとする。

でもね、不動産投資を始めた事で「生き方の変化」を作り出す事も出来たんだよ。

 

おはこんばんにちは、社畜です(=゚ω゚)ノ

2016年から始めた不動産投資は、既に7年目(2023年現在)に入りました。

大きな病気で会社を休み、信じられない程の給与カットを経験し「これでは家族を安心させられない」と一念発起して始めた不動産投資。

今では多くの方達の支援を受けながら着実に実績を積上げ、会社の突然の倒産やリストラが発生しても家族を路頭に迷わす事はなくなりました。

大家としての規模は上を目指せばキリがないですが、平凡な暮らしを送る分には不自由なく暮らせるまでに家賃収入は増えています。

スポンサーリンク

強まる会社の未来への不安と社内の不協和音

過去記事にも書いていますが、私が勤める会社は地方の田舎にあるものの、地元ではそれなりに名の通った会社です。

銀行融資を受ける際にも多少なり属性の優位性はある企業ではあるのは確かです。

実際には超漆黒企業で、毎月社員の出入りが激しい会社であるのですが、一昔前までは「入社出来たら定年まで安泰」と言われていた時期もありました。

しかし、時代は常に変化を続け、私の会社は「時代の変化に対応してこなかったツケ」が今になって大きく業績を悪化させています。

若い世代は特に「転職」で多くの社員が成長する前に会社を離れ、中堅からベテランも業界衰退の速さに危機感を感じ、転職する者が続出。

後に残るのは過去の栄光を引きずり続ける者と、思考停止した事なかれ主義の社員達。

当然社内の活気は失われ、事業転換を考える事も無く、極めつけは経営者自らが厳しい現状から目を逸らし始めている事。

出世レースと責任の押し付け合いが起こる末期症状

会社は私の予想を遥かに上回るスピードで衰退しています。

私自身も身に覚えのない意味不明な権力争いに巻き込まれ左遷。

今は会社への夢も希望も、未来すらも考えず日々の仕事を無力で熟していました。

「組織とは人である」と著名な方の話を聞いた事がありますが、本当に同感です。

どんなに素晴らしい事業でも、それを扱う人間側が間違った運用をしてしまうと直ぐに劣悪品と化してしまう。

私の会社は今、まさに人材によって滅びの道を進んでいるだけです。

気に入らない社員は実力に関係なく左遷で飛ばされ、上司のご機嫌を取る者が異例の速さで出世する典型的な地方一族企業の構図の中、私が勤める会社も例外ではありませんでした。

不動産収入で人生最後の決断をする

私はこの老舗企業を退職する決断をしました。

給与は決して悪くないですが、このままでは自分の人生に後悔を背負う気がしてならなかったからです。

偉そうな事を言っても、生活できなければ負け犬の遠吠えと言われても反論はできませんが、その選択が出来たのが不動産投資による収入です。

「贅沢な暮らしを望まなければ十分家族を養える収入がある」ことで、これからの人生を本格的な不動産賃貸業に注力する決断ができました。

今後も物件は増やすつもりなので、勤め人をリタイアする気持ちは無いですが、どうせ働くなら面倒な老舗病に取りつかれた会社より、楽しみながら仕事をしたいと思います。

後悔するなら挑戦して後悔したい

今回の私の決断は、間違った選択なのかもしれません。

我慢して働き続け、安定した給与を貰い定年を迎える事が人生の成功と謳われる日本社会の中において、無謀とも思える決断を選択する事は無駄なリスクを背負う行為です。

しかし、不動産投資を始めた事で「思考停止したサラリーマン人生こそ最大のリスク」だと私は考えており、一度きりの人生を悔いを残さず生き抜きたいと考えています。

家族がお金の不安を完全に排除できるまでは、バイトをしてでも収入を作る所存ですが、やはり不動産投資で得られる収入はとてつもなく大きな精神安定剤になっています。

過去の栄光は必要ない、大事なのは未来の成功

そんな訳で、私は長年勤めた漆黒企業を卒業し、新たなフィールドへと挑戦します。

意外と不安よりワクワクドキドキの方が精神を支配しており、楽観的かもしれませんが「人生なんとかなるでしょ」と前向きな思考でいられます。

不動産投資に出会っていなければ、きっと今も会社に完全依存した生き方しか選択出来なかったでしょうし、定年までサラリーマンでいる事が正解だと誤解したままだったでしょう。

この選択が正解だったのか、はたまた不正解だったのかは、自分の人生が終わる時に答えが出る事と思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました